赦し(ゆるし):フィリピン・モンテンルパの夜は更けて

いろんな「ゆるす」がある。ご存知でしたか。私は恥ずかしながら知らなかった。

①許す=許可する、何かをすることを認める

②赦す=罪や過ちを赦す

③恕す=思いやりのある心で罪の過ちをゆるし、相手の思いを図ること。換言すれば、全てを受け入れて進歩させ向上させること

ここでのテーマは②赦す です。

さて、朝日新聞に11日掲載された記事。太平洋戦中戦後フィリピン大統領は大戦終結から8年後の1953年、日本軍のB,C級戦犯に恩赦を出して解放した当時の大統領キリノ氏のことが書かれていた。日米の激戦地となったフィリピンでは国民111万人が犠牲になった。実はキリノ氏も家族4人を日本兵に殺害されていたのである。フィリピン軍による戦後裁判で日本軍の137人が有罪になり半数が死刑判決。執行されたのは17人。残りの収監されていた105人はなんとキリノ大統領の恩赦により日本帰還を果たした。「なぜ戦犯の命を救わなければならないのかと当初大統領は日本に対し厳しい態度でした。」当然ですね。しかし、時を経て大統領は恩赦を出すに至った。その心境を次のように語った。「私は妻と3人の子を殺されたものとして日本人を恩赦する最後の一人となるだろう。私は自分の子孫や国民に我々の友となる日本人への憎悪の念を残さないためにこの措置(恩赦)を講ずるのだ。」大統領の姪のアレルさんは、戦争で何があったのか大統領は恩赦で何を望んでいたのかを若い世代に伝えなくてはならない、と語る。

キリノ氏は敬虔なクリスチャンであった。大統領の恩赦の根幹には赦しに重きを置くキリスト教信仰による信念がにじんでいるといわれる。

この新聞記事には全く言及されていないが、実は非常に心を打つ裏話がある。キリノ大統領が恩赦に踏み切ったのはある心動かされるエピソードがあったと伝えられている。私はむしろそちらの方が真実に近いと思っている。フィリピンで日本軍の戦犯が収監されている刑務所の所在地はモンテンルパ。戦後すぐに歌手の渡辺はま子が歌って大ヒットしたモンテンルパの夜は更けてと題する歌謡曲がある。実はこの曲作詞作曲者はいずれもモンテンルパ刑務所に収監されている人物の作品だったのである。この曲をオルゴールにしてキリノ大統領に面会したのは収容所の日本人教誨師。オルゴールのメロディを耳にした大統領は戦犯の心情に深く感動して恩赦を決意したと伝えられる。渡辺はま子は当時の厳しい対日感情のフィリピンんへ自ら戦犯の慰問に出向きこの歌を歌った。気温40度の中を振袖で舞台に立ったと伝えられている。詳しくは次のリンクをご覧ください。

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