にんにく

30年くらいにんにくのサプリメントを摂取しています。それも市販のでなく、名古屋のさる食品会社がお客サービスの一環で無料で配布している製品(自家製)です。他の自社製品が売れるようになるための宣伝目的ですが30年以上も続けられることはすごいことと思います。3ヶ月ごとに年4回定期便で送ってくる。今回その中に同封されていたチラシから。

にんにくについて

にんにくを示す漢字は諸説ありますが、忍辱が有力。これは仏教用語で、屈辱に耐えて修行する、もしくは耐え忍んでこころを動かさないという意味で解釈されます。僧侶がにんにくの臭気を気にも留めずに食したことに由来するといわれています。

忍辱と言う言葉は釈迦の教え、六波羅蜜に出てきます。修行の方法や悟りの境地を得る実践方法のことです。

1.布施(施しをする)

2.持戒(戒律を守る)

3.忍辱(苦に耐え忍ぶ)

4.精進(努力)

5.禅定(静かなこころを保つ)

6.知恵(上記の実践の末出てくる考え)

にんにくはどのように活用していますか。

私は新潟に単身赴任していた頃、単身赴任のベテランから、焼きにんにくに味噌をつける食べ方をお教わりました。

今も時々カレーのとき、炒める油ににんにくの薄片を多数入れて黒こげにして取り出すという使い方をしています。油に味がついてカレーの具が美味になるような気がします。あくまでも気のせいです。

・白夜来て心の底の白さかな

●花クイズ(にんにくチラシの表紙絵)

難問かなと思ったら、わりとありきたりの花みたいです。ヒント。花言葉は美しい娘。

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続・いのち

はてな村に移住してきてはや2年半が過ぎたことに気づいた。今や書きたいテーマも書き尽くした感じなのでどうしようかと10日ほど昼寝しながら逡巡していたら、昨日苺博士に肩をたたかれて目が覚めた。そして、同じテーマでも別の視点があるではないか、と至極平凡な結論に達したので、マイペースを堅持しつつしばらく続けながらどうするか考えることにした。

・凜としてこころ新し雲の峰

●続・いのち

矢作直樹氏という東大の先生が居られる。現役医学部の重鎮にもかかわらず東日本大震災直後から突如、スピリチュアル関係の出版をされて世を驚かせた。内容の正誤を別にして、とにかくこうした傾向はアカデミズムの世界では最も毛嫌いされるので、地位は大丈夫かなと思っていたら、去年無事退官されて名誉教授の称号も得られたようである。日本の社会も一昔前に比べて変わったものと、いい意味で感慨深い。その先生の出版物が図書館にあったので読んでみた。

「いのちが喜ぶ生き方」 青春出版社

いろいろ教えられたこと、いいたいとはありますが、「いのち」を鼓舞する日常のちょっとした視点には共感させられる面が大いにあった。

・良い言葉が良い場をつくる

いわゆる言霊思想。使う言葉を吟味しよう。マイナス、ネガティブな言葉を使わない。

プラスの言葉の一例。ありがとう、おかげさまで、たのしいね、大丈夫だよ、いいね、何とかなる、またね、いただきます、ごちそうさま、さすがですね、ごめんなさい、どちらでもよい・・・

・「生かされている」ことに気づくと人生が変わる。

・全てのご縁は学びにつながる。

・祈りは私たちが思う以上の力がある。

・自分と向き合うことは魂と向き合うこと。

●ガスミュージアムの錦絵の残り

前に紹介しそびれた残りです。新橋、品川駅の背景は海!

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いのち・ほか

今月のカレンダーの猫。不快指数にふさわしいポーズ。

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●台風の動き、気になりますね。各国の予報未だ定まらず、日本中全てに訪問の恐れあり、まるで哲学者の未来予想みたいです。米軍の予報がかなり信頼性高いと思っているのですが、それによると南九州行き、博士のところ直撃みたいですよ、要厳重警戒。

http://www.usno.navy.mil/NOOC/nmfc-ph/RSS/jtwc/warnings/wp0717.gif

●今朝の自家農園

バケツ栽培のお米がうまくいってるみたいです。

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小玉西瓜初めての収穫。

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●まだ俳句講座最終課題提出が済んでいない。およそ1ヶ月遅れ。

・遠くより園児らの声原爆忌

・雲の峰喜寿一念のヘボ俳句

●いのち

・亡くなられた日野原先生は講演でよくいのちについて言及されました。いのちとはなんでしょうか。科学で特定するのが難しいと思います。日野原先生は一つのたとえとして、いのちとは各個人に与えられた生きる時間であると定義されました。命を如何に輝かせることが出来るか、イコール与えられた時間を如何に輝かせて生きることが出来るかということになります。

・その一つの回答を、「哲学の教科書」中島義道で見ることにします。

それは「自分自身になること」。自分の信念に基づき一生精進、行動すること、自分にふさわしく生きること、それ以外に最高の自己表現はありません。この本では、まとめとして哲学者モンテーニュの言葉をあげています。

「彼は無為のなかにその一生をすごした、ぼくは今日何もしなかった・・。冗談ではない。君は生きたではないか。それこそ君たちの仕事の根本であるだけでなく、その最も輝かしいものではないか。もし大事業をする好機が与えられたら、僕もこの腕前をみせてやったのに、と君は言うが、もし自分の生活を考え導くことができたのなら、それだけで君は最も偉大な事業を成し遂げたことになる。我々の偉大で光栄ある傑作とは、ふさわしく生きることである。そのほかのことは、統治することも、金持ちになることも、家を建てることも、付帯的二次的なことに過ぎない。」

・長男は20年以上のカルガリーでの生活の末事故死しました。仕事はSEでしたが、自然を愛するその気持ちに真正面から向き合った自己表現豊かな生涯であったと思っています。それを一番理解しているお嫁さんは、彼の地で生きた証として最もふさわしい墓標を残した。

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ここは取っておきの公園墓地です。ベンチのような形ですが墓標。この反対側にゴルフ場が連なり、ロッキー山脈を窺うことができる。

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メモリアルベンチです。10年間カルガリー市の管理下にある。

ベンチの先、はるかカルガリー市のダウンタウンが見える。右側はロッキー山脈。

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バンフの著名な湖。事故現場。

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1986年から3年半カルガリー市で住んだ家。この状態で現存している。築40年にはなっているはずだが、恐らく内部はクリーンで中古として今も市場価値があるはず。日本と違って住宅は中古を売買するのが常識である。

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哲学もどき2

東久留米は木曜から今日まで30度以下の曇りや雨の日が続いています。

涼しいので哲学の入門書(哲学の教科書 中島義道)と思って頑張ってみたのですが、何度読んでもどうしてこれが問題なの?、という箇所ばかりで疲れました。

一番引っかかったのは時間、特に過去。

上記教科書を以下「本」と呼びます。本では、「過去は存在しない。」と述べています。物事は全て現在起こっており、宇宙のどこにも過去という時間をもった事象は発見できないと。

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確かにその通りで、起こったことはすぐ推移して眼前から消えてしまいます。つまり、私たちが見聞していることはまさに「現在」そのものである、とおっしゃる。ここまでは了解できます。問題はこの後の記述。「なぜ、我々は過去の出来事を想起できるのでしょうか。現在において「過去を想起する」とはいかなることでしょうか。」この想起という作用は、大脳生理学が明らかにしている記憶のメカニズムでは説明がつかないとこの本では述べています。私が考えるに、想起にはふたつの記憶の結合が必要であると思います。ひとつはその出来事そのもの、それとその出来事に付随した発生日時に関係するなにものか。この両者の記憶素子の神経回路が電気信号で活性化されて、物事が何時起こったかを想起できるのではないかと理解しています。いわゆる認知症というのは、前者の「出来事」そのものを忘れてしまうことです。しかし、この本では、さらにまだ解明されていない「こころ」の作用がないと不十分で、完全な想起の説明には至っていないと述べています。私には、ここのところがどうしても分からなかった。

未来について。

未来についてはどうでしょうか。本の記述では次のように述べています。

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刻々と時を移さず新しいことが起こる。どこかにシナリオがあるのだろうか、なぜそのことが起こるのかとても不思議なことだ。この見解については完全に同意いたします。この本の中で100%同調できたのはこの箇所だけでした。

手の届くような近未来の出来事は現在の延長で似たり寄ったりである、という暗黙の了解のもとに私たちは日々を送っています。しかしそんな保証はどこにあるのか、と本では述べています。素朴な疑問のようですが哲学の大問題なのだそうです。

問題の捉え方を変えて、ある特定の事象は将来どの程度おこりうるか、と問うてみます。近代科学はこれに対して「確率」という手段を導入しました。分かりやすい例は天気予報です。「あす晴れの確率は99%」。この予報の意味するところは、同じ気圧配置が100回あれば99回は晴れ、ということです。私たちは、この予報を見れば雨具の用意はしないでしょう。しかし、100回のうちの明日の第一回目が1%の雨でない、となぜ確信できるのでしょう、とこの本は主張するわけです。つまり、ゼロか百のパーセントでないかぎり、未来の出来事を確定したことにならないわけです。ということは、確率という近代兵器をもってしても先に述べた「不思議」は解消しないまま残されています。地震の起こる確率も同じです。80%といわれた地区の人が5%の地区に引っ越したとたんに大地震に遭遇したということは現に起こっています。飛行機事故の確率がいくら低いといっても、具体的な明日の飛行の安全を保証しているわけではありません。うちの息子はきわめて生起確率の低い(殆どゼロ)事故で亡くなりました。いくらニアリーゼロの確率でも、起こるときは簡単に起きる。あたかもそのシナリオがあらかじめテープに保存されているかのようにです。

ここから先は私個人の妄想ですが、以前述べたきわめて稀な地球環境の実現、たいしかその実現確率は10のマイナス500乗だったと思うのですが、うえの理屈を当てはめれば、起こるときは簡単に起こる。だから、地球環境実現になにもよく分からない「マルチバース」説など持ち出さなくてもすむのではないかという気がします。10億円の宝くじだって、当たるときは簡単に当たるのだから、低確率に怖気づいて買うのをやめる必要はさらさらないわけです。

しかし、以上の考察は生起シナリオというものが無く、世の中の出来事はすべて全くランダムに起こる、と決め付けているわけではありません。自然の出来事、人間各個人の宿命、運命についてじつは決まったシナリオというものがあるのだ、ということだって十分ありえる。現代の私たちにはそれを知る能力が無い、ということが確実なだけです。

・ラムネ玉ひと口ごとに鈴の音

・一昨日いったボランティア先に咲いていた花、教えてください。

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哲学(もどき)-1

哲学好きで、哲学の本はす~っと頭に入るという信じられない友人が居て、話すといつも煙に巻かれるので、毛嫌いしてきた哲学とはいったいどのような代物かと、酷暑を打破すべく素人向け入門書を恐る恐る開いてみた。

いきなり来ましたね~、哲学的センスとは当たり前と思われることをとことん疑うことだそうです。ときどき3歳の子供から、なぜ、なぜ・・と質問攻めされて閉口しませんか。あれこそ哲学の第一歩。なぜ勉強しなきゃいけないのか、人を傷つけたり殺したりしてはなぜいけないのか等も大事な質問です。

なかでも古今東西究極の難問は「死」についてです。死んだらどうなるのか、という質問です。ギリシャ以来全ての哲学者が論じてきましたが、何しろ実態が見えないのですから、いくら難しい議論をしても万民を納得させるには至っていません。この入門書から朧気ながら読み取れるのは、どうもほとんど全ての哲学者の抱く死後のイメージは「無」のようです。有名な言葉に、「生れた以上は死んでいかねばならず、生きている限りは不幸からのがれることは出来ない、ということ以上に確実なことはない。」、「死を忘れるな、Memento Mori」があります。肉体が朽ち果てるのはまだしも、生前の思考、蓄積、感情等が一切無に帰して、一方で宇宙の森羅万象は何事もなく進行していくことへの恐怖がその実態です。

ところで、ここで素人から哲学者に愚言を一言。なんでもとことん疑うというのなら、「死んだら無」という命題こそ徹底的に疑うべきではないのか。現代では、ちょっと真摯に目を凝らせば学術的議論のとっかかりは十分準備されているのです。

この本で私が最も心を動かされた記述を少し長いですがコピペしておきます。

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「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく、些細なものこそ光を放ってくる。誠にその通り、の記述ではないでしょうか。

哲学の教科書 中島義道より。

テーマ・孤独

・丑の日にワンタンすする孤独かな

・風鈴やひとりごろ寝の誕生日

 

 

錦絵・再度ガスミュージアム

●日野原医師が亡くなられた。生涯現役医師でエッセイスト、さらに趣味を生かした音楽では音楽療法を積極的に取り入れ、学会まで立ち上げたと聞く。驚くべきことに、100歳の挑戦として俳句をはじめられ、すぐに独自の世界を切り開いて句集まで出版、という素晴らしいバイタリティだ。「100歳はゴールではなく関所だよ」、こういう句を見ると季語のあるなしとか瑣末の問題を超越した力強さと希望を感じる。

ご自身の経験から、老人にたいしてユニークな注意を喚起されていた。「血圧の高い患者に試合の生中継は危ない。見るなら結果の分かった録画を。」日野原先生の言葉は知らなかったが私は高血圧ではないが大分以前から実践している。

●40年以上前、都心に勤務していた頃、ちょっとあやしい病気というと聖路加病院しか行かなかった時期があった。理由は分からないが、なんとなく患者に寄り添った医療を行う病院というイメージがあったからだと思う。虫歯もわざわざ聖路加歯科へいって、歯科部長に見てもらっていたのだから明らかにやりすぎで、こういう患者がいるから初診料5000円取られるようになったのだと反省している。

●錦絵inガスミュージアム

実際に掲示してあるのでなく、収蔵品をビデオに納めたものをテレビで再生して鑑賞する。この前、ごいさんと行った時は機械がこわれていて見れなかったので再度行って撮影してきた。これで、全体の半分くらい。明治期の東京の風景が面白い。

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あと次回以降に続く。

・書を積んで羊数える熱帯夜

・青空に園児らの声終戦

●この花の名教えてください。

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ウヒョー!!

九州や新潟で豪雨災害、遅ればせながらお見舞い申し上げます。

昨日は、当地東久留米界隈、都心でも池袋で2時間くらい「記録的ゲリラ豪雨」と強烈な雷、圧巻はでっかい雹(ひょう)の襲来を受けました。うちの近所もこの通りです。

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ここは、時々こうなるので有名な場所なのですが、きのうは水中で車がえんこして、JAFを呼ぶやら、警官が出動するやら大騒ぎでした。ちなみに私の車ではありません。カメラを持って出歩くと、リアルな画像に遭遇しますね。

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ウヒョー、の画像集を「シェア」します。

http://twitterism.net/archives/9080

・渋滞のテレビ肴に冷やし酒

・人気(ひとけ)なき隣家の軒に鉄風

(切れ字なしに切れている句のつもり。どうでしょう?)

しかし、2句目は定石通り、やを使うべきだと思います。

・人気なき隣家の軒や鉄風