哲学(もどき)-1

哲学好きで、哲学の本はす~っと頭に入るという信じられない友人が居て、話すといつも煙に巻かれるので、毛嫌いしてきた哲学とはいったいどのような代物かと、酷暑を打破すべく素人向け入門書を恐る恐る開いてみた。

いきなり来ましたね~、哲学的センスとは当たり前と思われることをとことん疑うことだそうです。ときどき3歳の子供から、なぜ、なぜ・・と質問攻めされて閉口しませんか。あれこそ哲学の第一歩。なぜ勉強しなきゃいけないのか、人を傷つけたり殺したりしてはなぜいけないのか等も大事な質問です。

なかでも古今東西究極の難問は「死」についてです。死んだらどうなるのか、という質問です。ギリシャ以来全ての哲学者が論じてきましたが、何しろ実態が見えないのですから、いくら難しい議論をしても万民を納得させるには至っていません。この入門書から朧気ながら読み取れるのは、どうもほとんど全ての哲学者の抱く死後のイメージは「無」のようです。有名な言葉に、「生れた以上は死んでいかねばならず、生きている限りは不幸からのがれることは出来ない、ということ以上に確実なことはない。」、「死を忘れるな、Memento Mori」があります。肉体が朽ち果てるのはまだしも、生前の思考、蓄積、感情等が一切無に帰して、一方で宇宙の森羅万象は何事もなく進行していくことへの恐怖がその実態です。

ところで、ここで素人から哲学者に愚言を一言。なんでもとことん疑うというのなら、「死んだら無」という命題こそ徹底的に疑うべきではないのか。現代では、ちょっと真摯に目を凝らせば学術的議論のとっかかりは十分準備されているのです。

この本で私が最も心を動かされた記述を少し長いですがコピペしておきます。

f:id:recoca1940:20170726111008j:plain

f:id:recoca1940:20170726111043j:plain

「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく、些細なものこそ光を放ってくる。誠にその通り、の記述ではないでしょうか。

哲学の教科書 中島義道より。

テーマ・孤独

・丑の日にワンタンすする孤独かな

・風鈴やひとりごろ寝の誕生日