過去記事レビュー(2)。奇跡は存在するか⇒大学者の答え

2015年1月6~数日間の投稿。この時の読者もほとんどゼロだったので改めてここにコピーして読んでいただこうという次第です。こういうテーマはRECOCAの大のお気に入りです。

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2015年1月6日から数日のRECOCA過去記事

「奇跡は存在するか」

1873年フランス。ノーベル医学・生理学賞受賞。1937年の名著「人間・この未知なるもの」訳・渡部昇一

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昨夜民放テレビで透視捜査について放映していた。驚いたのは、一昔前の番組のように靴を履いて痒い足を搔くような透視ではなく、まさにピンポイントの透視が行われていることで、これには深い感銘を受けた。

ただ、番組はCMに寸断される作りのひどいもので、もっといけないのは素人の何も知らない俳優と科学教に犯されたタレント識者をコメンテーターに出していたこと。雑音なしに事実を淡々と伝えれば素晴らしい番組だったのに、民放の超えがたい限界を見た。素材が超一級品だっただけにかえすがえすも惜しかった。

 

 

さて、本論に入って表題の名著。じつはカレルが素晴らしいのは唯物論全盛の当時(1937年)、その思想は間違いであることを著書の中で明言していることである。いわゆる物質科学しか信じない人を、新興宗教にたとえて科学教信者と揶揄している。

 

カレルの言葉に耳を傾けてみよう。

「物質と精神を異質のもの、ふたつの異なったものと考えるデカルト二元論は間違っている。したがって、物質重視の科学は間違いである。」

「透視とテレパシーは重要な科学的観察対象である。超能力、心霊学の研究も、同じことである。科学者は、それが正統的でないかたちをとるからといって、驚いてしり込みしてはいけない。」・・

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ー奇跡は存在するかー

1.カレル博士の答え

「奇跡は存在する。」

例としてルルドの泉での多くの難病治癒例を挙げている。ここではどんな医者でもそのありのままの記録をルルドの医学事務局で閲覧することが出来る。

 

あまりの評判に米国から調査団が派遣されることになった。ところが時は19世紀、当時の科学界の猛反発、つまり「奇跡など存在するはずがない」という唯物思想におされて実現しなかった。そして、それ以降は科学界の反発を恐れる世の中から徐々に忘れ去られる存在となってしまったと記されている。

 

しかしカレル博士曰く「過去50年間研究した事実からすると、この世の中の態度は支持できない。多くの奇跡による治癒例がルルドの医学事務局によって報告、保管されているからである。

腹膜結核、寒性腫瘍、骨炎、化膿症、癌などの重要な治癒症例である。

 

治癒の経過はほとんど同じだ。鋭い痛みの後、突然治ったという感じをもち、2,3秒、2,3分、遅くとも2,3時間以内に機能的、物理的症状が消え、食欲が出てくる。

この現象が起こるには条件がある。それは祈り。ただし、患者本人が祈る必要はなく、周りの誰かが祈りの境地に至ればよい。

 

この事実には深い意味が潜んでいる。すなわち、心理的な働きと肉体の働きには、まだ本質的にはよく分からないある関係が現実に存在しているということである。」

これは、精神と肉体を無関係とする2元論の誤りの実例といえるだろう。

参照書籍カレル著「人間、この未知なるもの」渡部昇一

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奇跡は存在するか

J.Jシャルボニエ博士(フランス蘇生・麻酔医)の答え。2013年発行の訳書から。

ー存在する。ー

「この問にわたしは肯定的です。なぜなら証拠が存在するからです。例えば、ピオ神父のケース。イタリア人の神父1968年亡くなり、後に聖人に列せられました。

故あって2008年に彼の遺体を掘り起こしたら、保存処置を何も施してないにもかかわず、遺体は完璧の状態で、芳しい芳香さえ放っていました。同様の現象は他にも存在します。このような例は聖人で起きるといわれています(例えばチベットの高僧ドゥジェム・リンボチェなど。彼の場合は、瞑想中の姿勢を保ったままのまま無傷で残っている。)」

 

アインシュタインの答え。

「偶然(即ち奇跡)とは、神がこっそりと旅をした足跡のことである。」