文豪と感染症を読んで(文豪によるスペイン風邪の回想)

現在の新型コロナウイルス感染症と同じようなことが100年前にもありました。いわゆるスペイン風邪です。その時社会の状況、庶民の混乱ぶりは現在と比べてどうだったのか、現代の私たちにはとても興味のあるところです。実はそれらについては、当時の多くの作家が小説、エッセイや日記に詳しく書き記してくれています。そして、その作品を集めた本が出版されたので、その感想をいくつか記します。

文豪と感染症 永江朗著 朝日文庫(2021.8)

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まず収録されている作家がすごい。ご覧のように著名人のオンパレードです。

芥川龍之介秋田雨雀与謝野晶子斎藤茂吉永井荷風志賀直哉谷崎潤一郎菊池寛宮本百合子佐々木邦岸田國士

さて、当時のスペイン風邪という流行性感冒(流感)がどのくらい凄かったかというと、感染開始から収束迄の死者数累計が全国で38~45万人。当時1920年の日本国人口は約4500万人と言われていますから、死者40万という数字を現在の人口1億3千万に当てはめると、死者累計100万人規模の信じがたい大災害ということになります。(因みに、今回の日本の死者累計は3年で約2万人)当時も患者数、死者数が毎日の新聞に発表されていました。作品中にも出てきますが、関心は死者数のみだったようです。作品には、今日1日で東京で300人、全国で3000人亡くなったという記述が出てきますが、これも現在の人口に換算すると東京で1000人、全国で8000人の死者に相当します。オミクロンの全国での新規死者100人などとは比較にならないくらいの恐怖だったろうと思います。

それで当時の感染防止策はどうだったのか。ほとんど現在と変わりません。人ごみに出かけない、マスク、うがいが基本。なぜか、石鹸による手洗いはあまり重視していなかったようです。それとマスクですが、当時は流行の波が来ると装着し、下火になると外していたようです。大波期でもないのにマスクしているとむしろ奇異に見られたようです。それと接触感染という概念はこの時期なかったようで、もっぱら空気感染を恐れていました。ですから、現在のようにドアノブや机など触れる場所の消毒清掃はしていませんでした。

病気の発症の様子は、読む限りかなり劇的に見えます。ある日何かぞくぞくと寒気がすると思ったら、耐え難い頭痛と関節の痛み発熱に襲われる。熱の上がり方も急で、みるまに40度前後でダウンして3日位人事不省に。そこから回復に向かうケースと肺炎に移行して重症化するケースに分かれる。庶民は入院して酸素吸入などできる例は少ないですから、肺炎に移行すると多くが死を免れなかったのでしょう。なんか現在の自宅放置とダブって見えます。さらに現在と違って見える点でいえば、濃厚接触という概念が希薄だった気がします。というのは、病人は家庭などで必ず家族友人の手厚い看護を受けているからです。接触した看護者も4,5日すれば流感をもらって感染するから、この辺をもう少し国の指導で徹底すればよかったのにと思いました。

私が強く感銘を受けたのは、この当時の家庭医の献身的な働きぶりです。スペイン風邪らしい患者のもとへも積極的に往診しています。病気が怖いからといって発熱患者やコロナ患者を拒否する現代の算術医者とは比べ物にならない崇高な精神が特に印象的でした。

さらに興味深いのは、国、政府の政策、指導の陰が作品からは全く見えないことです。ただ一人与謝野晶子が政府の頓珍漢な政策、対応の遅れを厳しく批判しているのが目に付くくらいです。多分国の施策など作家たちは端から見放しているのでしょう。これも現代に通じるところで、百年前から何も進歩していないようです。