やまと心⇒桜・散る桜の美意識への変質

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順不同に。こんにゃく、きのこ、青魚、豆腐、納豆

◎アスパラガスとにんにく

・アスパラガス

にんにく

◎大和の心⇒さくら

潔く散ることが日本固有の精神だとする考えがある。特に太平洋戦争中それが強調されて特攻隊を鼓舞するイメージにつながった。これは桜の本心ではないことは勿論である。ではこういう桜の解釈は日本に古くからある伝統なのかと思ったら決してそうではないことを知った。

朝日新聞文化欄8月13日「星の林に」ピーター・マクミランの詩歌翻夕遊「満開の山桜・日本の心」より

本居宣長の代表歌。

・敷島の やまと心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花

現代語訳・やまと心とは何かと人が尋ねるならば、それは朝日に照らされて美しく映える山桜の花だと答えよう

宣長はこの歌で日本の心は朝日の光の下で美しく咲き誇る桜に例えた。しかしこの日本観は幕末頃から新しい解釈で変質が進んだ、それは山桜花を散る桜と解し、潔く散ることが日本固有の精神だという解釈が現れ浸透してゆく。太平洋戦争中にはこれが愛国精神の象徴としてもてはやされたのである。神風特攻隊の舞台にもこの歌にちなんだ命名がなされた。「敷島隊」、「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」・・。

しかし、もともとこの宣長の歌にも古来のやまと心にも「潔く散る」というイメージは皆無であったのである。そのことをこの記事から教わり救われる気がした。桜⇒散るイメージ⇒潔い死の奨励、は明治~昭和いち時期の全くの曲解詭弁に過ぎないのである。私自身自分の心の中にもなんとなく「桜・散る美意識」のイメージがある。これは早く払しょくすべきだと強く思った。そうしないと桜がかわいそうである。

ピーター・マクミランの英訳。この英訳を見たほうが宣長の原日本文よりもすっと頭に入る。

When asked what is the heart 

of the Yamato people

I'll say it's mountain cherry blossoms

beautiful in the light

of the morning sun.