東京都東久留米市はここにきて連日春爛漫ですが、3月10日はその昔の1945年米軍による東京市大空襲の日です。現代風に言えば大空爆というのでしょうか。私は愛知県田舎の生まれなので体験はしてないですが米軍機焼夷弾による火災はものすごかったとのことです。今朝の朝日新聞天声人語に俳人石田波郷の句になぞらえてそのことが記されています。波郷の句「焼け跡に透きとほりけり寒の水」「焼け跡の春を惜しまむ酒少し」「はこべらや焦土の色の雀ども」東京一帯は目立つ建物のない焼け野原だと波郷は記しています。
ウイキペディアによれば、当時の米軍では日本に対する戦争犯罪そのものといえる各種の残虐戦術が研究開発されていたとあります。例えば、東京市毒ガス投下作戦、農産物枯れ死させる細菌開発、つまり生物化学兵器の開発、それに加えての原爆開発などです。その中で、結局原爆が最も効率の良い大量破壊殺りく兵器であるとしてその投下を選択したということです。
現在ウクライナでは正にかつての日本空襲の悲劇が形を変えて再現されています。結局第一次大戦直後に制定された軍事目標以外の無差別空襲を戦争犯罪と規定する「ハーグ条約」などは単なるお飾りに過ぎないことを日本空襲でもウクライナ空爆でも見せつけています。つまりは、為政者の魂(霊魂)が浄化しないことには永遠にハーグ条約などは絵に描いた餅として推移するでしょう。とどのつまり、戦争は現人類滅亡の時以外にはなくならないということです。残念ながら我々はそのことを覚悟して生きていくべきだと思います。九条によって守られるとか核の傘があるから安心などは幻想にすぎないことを。
日本空襲の総責任者ルメイ大将の戦後の言葉が戦争の本質をしっかり語っています。
「当時日本人を殺すことに道徳的悩みはなかった。あったのはいかに戦争を早く終わらせるかということ。戦争とは全て道徳に反するもの。だから戦争になれば手段など選んでおれない。戦争ではできるだけ多くの敵人を殺さねばならない。そしてその時敵は戦争をやめるだろう。もし戦争に敗れれば私は戦争犯罪人として裁かれただろう。しかし、幸運なことに我々は勝った。(それだけのことだ。)」
終戦後佐藤内閣の時、このルメイ大将に日本の最高勲章である勲一等旭日章を授与しました。理由は日本自衛隊航空隊の育成への貢献。過去は過去として現在の功には報いるべき、だそうです。こういう日本人というものを米国はどう理解してくれているだろうか。理解不能の不思議な国として、あるいはそのことによって日本が舐められる一因となっていなければよいが・・。いずれにせよ、韓国とはえらい違いの日本人のメンタル構造を感じます。
・庭猫の寝そべりて春空襲記 RECOCA