「想定外」意味の変遷

今朝の天声人語のテーマは「想定外」という言葉である。元の意味は非常な驚きに対する肯定的表現だったとのこと。それが最近ではこの言葉、手垢にまみれてむしろ能力不足を意味する否定的な意味に成り代わったと書かれている。私は元の肯定的意味で使われていることを知らなかった。否定的意味にすり替わるきっかけは例の福島原発事故に対する言い訳であろう。東電幹部は裁判でもこの言葉を多用した。それ以来一気に広まりあたかも免罪符のようになった。しかし、今では少々食傷気味になっていますね。特に政治家にこれを言い訳にされると、この政治家さん、政治家の資質がないと自ら宣言してるように思える。政治家は論理と想像力が命なのに、想像力の欠如が想定外と言わせているのだから。

ついでに言わせてもらえば、これも今朝の新聞一面。

南海、東南海、東海、それに首都直下型地震が控える日本の明日の姿であるからである。これが起こった時日本の政治家はまた想定外というのだろうか。そして福島みたいな原発事故が誘発された時またまた想定外で言い逃れるつもりなのか。現在の政府等の能天気な姿を見るとそんな気がしてならない。しかし、私のような素人でもしっかり想定できるのだから、あなた方のその言い訳は今度は通用しませんよ。

今朝の新聞に私の想定外が一つあった。それは経団連少子化対策予算を消費税増税で賄えと言い出したことである。これは皆さんに絶対反対してもらいたい。とにかく消費税の使い道がブラックボックス以外の何物でもないからである。いろんな情報によると消費税増税の行先、福祉の目的税などというのは大ウソで例えば企業法人税減税分の穴埋めに使われているといわれます。真偽はわかりませんがありうる話だと思います。

「私の想定外」⇦ブログのお題になりませんか?

自分の「想定外」と言えばこの年まで生きてボランティアに行ったり、こうして駄文を書いていることでしょうね。小学生低学年の頃私は病弱神経質でした。初期の結核で小学校を2年休学もしました。当時の開業医に行くと、一言「神経過敏」といって何もしてくれないことがよくありました。子供心に藪医者の極みと思ったものでした。ですからよく生きて10年とか20年と思われていたと思います。なぜかというと同じ病院の結核患者はバタバタ死んでいたからです。それが今やヤソ過ぎて大きな顔で偉そうなことを書いている。想定外の極みです。皆様の想定外は何でしょうか。

さらに想定外といえばヤソ過ぎの自分が敬老会のエンタテイナーとしてオカリナを演奏しに行くことです。年長が年少の敬老を寿ぐ。これはこれで目出度いかも。

・敬老会祝い祝われ我もヤソ(八十) RECOCA