俳句で時事を詠むのはよほどの達人でないと非常に難しい、というか不可能に近い。世の中コロナ騒ぎでもひたすら目を背けて花鳥風月の写生に徹するしかない。昔評論家にそのことについて、だから俳句は二流芸術だと評されて大論争になったという話を読んだことがある。これは、17文字という少ない文字数、季語、詩性の重視という制約からくるもので、これらの制限の中で詩的に社会時評を行うことは余程名人でないとできないだろう。
ためしに15日の新聞の朝日俳壇入選40句を眺めてみたが、コロナ時評の句は選者4人に一句も採られてなかった。投句はされているが入選しなかったということかもしれないが。
それに比べて同じ日の朝日歌壇。入選歌40首のうちコロナ関連と思われる歌が9首あった。近代短歌では、人生観、日常の出来事、社会時評などを詩的表現に拘らず平叙文に近い形で自由に詠むのが当たり前になっている印象を受ける。その点、古来の和歌とは大分様子が異なるようだ。だから短歌のほうが俳句より簡単かというと、そういうわけにはいかない。俳句に慣れていると、最後の7・7がなんとなく付け足しっぽくなっておさまりが悪くなる。
お遊びに、先の朝日歌壇入選歌コロナ時評の9首から、RECOCA選の3首を選んでみた
第一席は断然これ
・テレビへも感染したか新型の
二席
・手洗いとマスク嗽(うがい)で迎え撃つ
戦争末期の竹槍の如 木村義〇
三席 自分のことを見透かされたようで・・
・いつ死んでもいいと言いつつ恐れてる
新型コロナ迫りて来れば 伊東紀美子
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RECOCAもマスク等で句を詠んでみたが、とても時評には程遠い。
・梅が香やマスク外して近づけり
・春愁のマスクの群れの一人かな
・コロナ禍の貴賤別無し山笑う
・淡雪やたった四人の大相撲