新聞(朝日24日)から

◎間もなく11月(旧暦では霜月という)

今の心境はこの俳句に尽きる。行くところがないし、やることと言えば細々とブログ、オカリナ録音。

・霜月や手帳真白の自粛跡

           RECOCA

◎トランプvs.バイデン

最終3回目(実質2回目)の討論会が終わった。米国大統領選挙始まって以来の醜悪な論戦と酷評されたがとにかく終わった。朝日新聞は左翼系のメディアなので、討論会はバイデンに軍配の趣旨の記事やコラムが最低三か所には出ている。米国の左翼系ニューヨークタイムスなどの世論調査ももちろん前からバイデン勝ち。すでに選挙は終わっているような印象だ。しかし勝負はまだ分からないよ。討論会の前に投票先を決めている有権者9割、この人たちは討論会の出来で投票先を変えるようなことはしないといわれている。それと世論調査出口調査に本性を現さない隠れトランプの存在がどれくらいいるかだ。RECOCAは基本的に世論調査というものに疑念を持っている。これは、世論調査には反対の意思表示をするという自分のへそ曲がり根性ゆえの疑念に過ぎないのだが。そこで、人間の疑念というものについて、

◎同じ紙面の「折々のことば」にパスカルの「疑念」についてのことばが紹介されていた。

懐疑論について疑いながら話す人はいない。」パスカル

懐疑論を主張する人は、あらゆるものは疑いうると確信をもって主張するが、その確信こそ疑いの標的である、という矛盾を指摘した言葉である。同コラムで指摘する矛盾自己撞着その1⇒会議を減らすための会議を設定せよ。その2⇒謙虚になれ、と声高に𠮟りつけるがその言葉は謙虚でない。

私がパスカルのことば(パンセ)で最も印象深く記憶に残っていることがある。それは、パスカルの賭け。

人の死は終わりか、それとも死後生があるか。さらに神は存在するかしないか。当時、哲学的に論証することがはやっていたみたいだが、パスカルはそれは賭けだと喝破する。例えば、競馬競輪に賭けることを想定してみる。その場合、自分に利益をもたらすと思う対象に賭けますよね。死後生、神の存否も同じだというのである。どちらに賭けたほうが残りの人生に利益(幸福)をもたらすか個々人の選択の問題だという。パスカルのいいたいことは、両者ともの「存在」に賭けて人生を送ったほうが、自分の死後、賭けに裏切られた時の痛手がはるかに小さいから、結局得であるから信心せよというのが本心のように思った。しかしこれは核心を付いている。ちなみにRECOCAは賭けよりはもう少し確固たる知識を持っている。以下蛇足。

しかし、懐疑論によればそういう確固たる知識こそ疑う必要があるんでしたね。しかしですね、さらにそんな疑う考えこそ疑いの対象だとも言っている。そんなことを言っているお前こそ何者なんだ・・・以下無限に続く。