行く末と回顧

行く末と回顧。題名は大げさだが、台風の雨で降りこめられてくだらないことを考えていたことの備忘録である。

①行く末(あと何年?)

あと何年生きるか。なぜこれが問題かというと、家の中でリフォームしないと朽ち果てそうな場所が見つかったからである。つまり、今大枚ははたいて行うべきか否かに掲題①がかかってくるのである。自分の年齢を考えれば平均寿命まであと数年、女房は10年くらいOKだろうが、その数年のために大枚はたくのは馬鹿々々しいというのが熟慮の末の結論。では想定外の時のための始末は?それが問題だ。財政的にも住いの物理的にも破綻しかねない。それなら、あと数年でおさらばできるようにしっかり励めばいいではないか。健康食事とかサプリなんかやめて、その辺の安物中国産冷凍食品に徹すれば想定外の懸念は確実に払しょくできる。口ではおさらばしたいといいながら健康法に拘る。典型的凡人。いやになった。

②回顧

遺品についてである。遺品として自然に残ったものは確実に捨てられ、個人を回顧してくれる遺品として残るものはまずない。天邪鬼のRECOCAとしてはそれではあまりにもしゃくなので、彼らにはどうしても何かを残させたい。たとえば、今不況の出版社が自分史を書かせようと広告を出しているのを見かける。しかし、凡人の自分史なんかはだめである。せいぜい一親等の身内が一度見るかどうかだ。そうではなくて自分が考えているのは親族以外の友人あるいは縁遠い知人でもが手元に置いておこうと思ってくれるものを残したいということである。こうなるとハードルが高い。RECOCAの場合候補は3つある。

①オカリナアルバム 今のところこれが最も実現の可能性が高そうだと個人的には思っている。実はすでに録音順に7枚のCDを作って、それぞれを数十軒に強制送付して感想をを聴取してあるから、厳選する材料は揃っているのである。

②俳句集 これができれば一番満足なのだが、一番実現困難なプロジェクトである。俳句は2015年から始めて、開始数年くらいは毎日10句以上作ってPCドキュメントに保管してあるから膨大な量がたまっている。しかし、4年前にユーキャン通信教育で半年間徹底的に基礎を叩き込まれる迄の膨大な句は俳句といえない完全な駄句であることが分かったので、残っているのはそんなに多くない。おまけに選句がそれなりの経験者でないとど素人のRECOCAにはできない。なぜなら、選句で一番のクリティカルポイントは優良不可の選別ではなく、類句かオリジナルかという判別だからである。類句とは句の模倣という意味ではなく、どこにでも転がっている句という意味である。すでに先人が同じ切り口で詠んでいる句という意味。たとえすごい技巧の素晴らしい句でも、類句だったら駄句になる。作者独自の切り口の句であれば、その人の生きざまが現れているから遺品の句集として残しておく意味があるであろう。

③せっかく頻繁にブログ記事を書いているのだから、選別して随筆集として残せないか。これは誰でも考えると思うが、そんなに簡単ではない。個人的日記備忘録としてなら可能だが、第三者の目を意識した読み物となるとそれなりの基準で選別する必要がある。RECOCAの過去記事がそれに耐えるかどうかという目で読み返したことはまだないので、思い立ったが吉日、今日からやってみようと思った。