俳句鑑賞

自分で俳句を作ることを始めたのは、友人の見よう見まねで2015年1月から。始めたころはでたらめに毎日10句、20句と作っていた。そのうちに本を読んで、俳句の仕来り、作法、一応のルールがあることを知り、ユーキャンの俳句講座を大枚はたいて受講した。半年間の添削指導の結果将来有望、新聞雑誌投稿ですぐに入選するようになるでしょうという評を読んで悦に入っていたが、当然ながらそれは単なる営業のためのお世辞だから実際は全然違う。もっとも、ほとんど投句してないのだからしようがないのだけれどね。そしてごく最近は?作ること自体時間の浪費に思えてまったくやらなくなった。しかし、人の句を読むのは好きだ。ただし、プロの俳句雑誌に載っているプロ作家の作品は全くと言ってよいほど面白くなく、それを読んで心動かされることは皆無だ。普通、プロの作品にあこがれてこういう道に入るのがアマチュアの常だと思うが、他のアマチュア、愛好家の人たちはどう感じているのだろうか。もし私と同じ感想なら、たぶん俳句雑誌の売れ行きはたいしたことないだろう。

 私が最も熱心に愛読するのは朝日俳壇入選句である。これらはアマチュア俳句愛好家の作品。アマの作品にはプロのとは異なり、毎回感動する作品がある。プロの作品は私の理解のはるか雲の上を行っているせいなのかもしれない。それはともかく、朝日俳壇4人の選者のうちでは稲畑汀子氏の選句が最も私の感性に近いと感じている。しかし残念ながら今年高齢でお亡くなりになった。今朝の朝日新聞コラムに稲畑氏の全句集をまとめたものが出版されたという記事があった。そのなかに同氏の句が何句か載っていた。どれも瑞々しい感性の句に思えるので紹介したい。

(今日は何もかもなにもかも春らしく) 

(派手と知りつつセーター赤が好き)

(胸に挿す薔薇の香りはわが香り) 

(落ち椿とはとつぜんに華やげる)

(一枚の障子あかりに伎芸天) 

(一片の誘ふ落花に山動く)

(生きてゐることが感謝の寒い朝) 

(春灯にベビーベッドの位置決まる)

(毛糸編む手を休めずに吾子を見る) 

(生涯を語る句集や冬薔薇)

さて話変わってAI俳句。同じ朝日のコラムに最近のAI俳句の動向が載っていた。AIに俳句を作らせることは誰でも考えるであろう。最近のディープラーニングのプログラムによれば簡単にそれらしいのができるだろうと以前から思っているのだが、まだそこそこのレベルらしい。しかし私が10年前見たコンピューター俳句に比べれば格段の進歩に見える。何しろその頃は時々これ日本語かと思えるようなのも少なくなかったから。今回のAI一茶君の作品は次のような句である。

(白鷺の風ばかり見て畳かな) 

(耳元で息がするので草の花)

西行の爪の長さや花野行く)

昔私が見た句に比べたらすごい俳句らしくなっている。下句の着地点への連想の飛躍が独創的だ。独創的過ぎてついていけるかどうかというレベルに達していると思った。